感動を生み豊かに過ごすには
妹が日本で本を出版しました。
それを実家から送ってもらい、
ゆっくり読みたかったので昨日キャンプに行ってきました。
朝一目覚ましのコーヒーを淹れ、
山奥は少し肌寒い時期なので、ファイヤーピットに火を焚き体も暖かくして読みました。
とても、贅沢な時間。
本の内容は、子供教育関係ですが、
わたしが一番心に残った事は、
人に感謝される事は素晴らしい。
と言うことです。
彼女は、日本とそのほかのアメリカやカナダ、オーストラリアなどでも幼児教育の場で学び、働いた経験を持っています。
子供たちは大人より正直に生きていると思います。
笑いたいときは、笑い。
泣きたいときには、泣いたり。
目に入ってきたものすべてを楽しもうとしています。
わたしが、良く公園に来るようになったのも、子供たちが走ったり、騒いだりしてるときの笑顔から何か学びたいと思っているからなのかもしれません。
本の中で生徒からの言葉や行動から、
その子達が彼女をこころから信頼し、感謝していることが分かる部分が読んでいて感じられ、
とても気持ちの良い時間を過ごす事が出来ました。
何が言いたいかと言うと、
人の感動とは、
誠意をもって物事に対し、精一杯尽くす事で自分の中に生まれてくるもの。
感動とは、
映画や音楽などを鑑賞して得られるものだと思っていましたが、
自分自身がコミットしたことで得られる感情であることに気が付きました。
例えば、セドナやヨセミテなどの国際公園旅行に行ったとき、
景色がとても綺麗で感動していた。と、
そう思っていたのですが、実はわたしの脳がそう感じたのはその旅行に対してコミットしており、本気で楽しもうとした結果なんだなと。
ただの綺麗な景色だけではない、そこに着くまでのいろいろな苦労や経験が一緒になって感動を与えてくれている。
そう考えたら、
どんなにマイナスで辛かった経験も実は、
感動を与えてくれる要素であり、
なくてはならなかった出来事であったんだと感じました。
////感動を生み豊かに過ごすには////
感動っていいです。
こころがこうぐっと何かに持ち上げられ、
とても幸せな気持ちになる。
感動出来る事が増えるたびに、人は豊かにあるなあと感じました。
それに必要なのは、
ただ物事を真剣に取り組むだけ。
単純でいて難しい。
ずうっと物事を真剣に取り組むのって簡単ではないです。
根気がいる。
小さい子供たちの教育の場やお医者さんなどの仕事は、人の生死がかかわる仕事であり仕事中には気が抜けないと思います。
でもどんな仕事や生活であれ、
今この瞬間を真剣に生きるとしたら、
他の事あれこれ考えずに済む。
気が抜く時は、思いっきり気をぬくぞ!ってことに集中する。
何をしてる時も、その目の前の事に集中。
ああ、それでいいのだ。
そう思えたらわたしの脳が簡単なことであると書き換え作業を始めました。
作業中に、彼女の事は考えない。
休養中に、仕事しない。
会話しているときにケータイみない。
本読みながらテレビ見るとか、無理。
寝なきゃと思うと寝れませんが、寝たいと思うとねれるもんです。
結果、めっちゃ簡単。
良く寝れた次の人朝の気持ちよさは感動します。
友達との食事に行きましたが、集中しての対話、食事できたので気持ちもほっこり。
人といる時にあれこれ別の事を考える癖があるので、徐々に今を生きようとすることで改善されてきていると感じています。
いろいろな感情は、
物事に集中することで得られます。
嫌な事に集中すれば、不安度が強くなります。
でも集中する方向はいつでも自分で方向転換可能であり、
そして嫌な事でさえも感動の要素として含まれるのであれば、
要は捉え方。
良い事も悪い事も感動を生み自分を豊かにしてくれている。
そうやって、
物事の捉え方をわたしが選択することで、
感動を自ら生み出し、
幸せな気持ちで日々の生活を送ることが出来ると信じています。
禅人