自分を偽らないこと

この時期はいつもバタバタしていてなかなかゆっくりできず、

自分でも少し、イライラしているのが分かります。

それは自分だけでは、ない。

とも思うようなりました。

と言うのは、みんなの雰囲気が少し前と違う気がするのです。

コロナウイルスによるいろいろな事への制限が、

人々の気分に影響が出てると思います。

コロナがなければ、

店を続けられていた人もいれば、

現在は、

仕事に行けなくなってしまった。

友達と食事に出かけることも減った。

などと様々な、

以前できていたことが、出来なくなることが多く、

それにはストレスがかかります。

わたしも何年か前に足を骨折したことがあり、

とても人に気を使ったり、

自分に苛立ったり、

不自由なことは、とても大変でしんどい時期でした。

不自由でしんどいと言えば最近は人との距離間ができたと感じることです。

6feetの距離をとることで、

ご近所のすれ違うたびにの挨拶の頻度はかなり減りました。

マスクとサングラス(眼鏡)で、

笑顔も人相も分からないので、

わたしのような相手の様子を伺ってから声をかける心配性な人間は、

コミュニケーションを始めるのが、以前よりも難しく、

もうすでに相手が誰かと言う認識すらしずらくなってきていると思います。

視覚から人を覚えることが多いので、

眼鏡でマスクしている人は、

みんな同じに見えてしまします。

わたし自身もサングラスとマスクなので、

良く行くお店の人達にもわたしと気づかれません。

そして少しづつ距離が出来ていると感じます。

何が言いたいかと言うと、

自分はかなりのソーシャルアニマルだなとつくづく思います。

そんな小さなすれ違いから、人との関りを必要している自分に気が付いたのです。

わたしは小さい頃、もともとすごくシャイで人見知りな性格だと、両親が言っていました。

中高校生くらいからか人が変ったように社交的になったと思いますが、

根は変わってないということが、このコロナで分かりました。

わたしは、旅行もご飯もなんでも一人で行きます。

自分の時間がとても大事であることも知っています。

正直、とても楽しい時間です。

そして、同調を強要される社会には属したいと思いません。

だからと言って、誰とも一緒にいたくないわけではありません。

 

////自分を偽らないこと////

ただわたしという一人の人間でありたい。

誰もが誰かに必要とされたり、必要としたい欲求があると思います。

ただわたしのように人を信用することがなかなかできない人もいます。

ある付き合いの長い友人が、深く付き合うとわたしには20%かダークネスな部分が見え隠れすると話してくれました。それに対しては、話を触れないと言っていました。たぶんそれは、触れられたくないことで、その境界線を無理に破る人を嫌い、不信感を抱く癖のことだと思いました。

それが出てしまい人とうまく関係が築けなくなってしまっていると思いました。

それは、はたから聞くと短所なんでしょうが、それも私自身なので捨てることのできない部分です。

しかし、自分を偽って無理に人を信用しようとしても自分のテンションが続かないし、どのみち最終的には、もやもやするのが分かってきました。

 

以前は、それを隠し、どんな人にも明るく接し、いわゆる八方美人対応をしていました。

が、最近このコロナで出来ない、もしくはその元気がない、相手の反応が悪いなどで、

明るくない、なんか自分らしくないな、と感じる事がありました。

でも、昔は自分はもともとあまり積極的に話す方ではなかったし、

どちらかと言えば、学校の休憩中、

クラスメイトと話すのが面倒だから、一人トイレの洗面台で寝たりするような変人。

ロンドンで研修した時も、

集団からはずれひとりぶらり行動。

先生を困らせたりしてました。

だから、二、三年前までのあの社交性はどこから来ていたんだろうと考えました。

それは、わたしの事を信頼してくれている周りからによるものでした。

わたしが社交的にふるまえていたのも、

その気分させてくれていた周りの人たちがいて、相手もそうであったからだったんだなと気が付きました。

社交的であったのではなく、わたしも周りにも余裕があった。

現在は、

いろいろな事でみんなに余裕がありません。

なので、お互いに変な距離感もしょうがない。

物事がうまく行かないのも、

周りともなんか上手くいかないことも、

なんだかいろいろな事に気分が乗らないのは、

それは自分が変わってしまい、とても今テンションが低いせいなのでは、とか考えたりする必要はないのだ。

無理に関係を良くしようとせずに、

無理にいい人を装う必要も、八方美人化せずに生きていい。

これが通常と思うことにしました。

わたしがなにかおかしい、

わたしが悪いという考えをなくすことが、

自分の人生をもっと豊かにシンプルにさせてくれるはずでしょう。

 

禅人

 

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