恐れ
昨日、土曜日の夜に久しぶりにいつも行かないバーに行きました。
土曜日と言うこともあり、店内はいっぱい人であふれていました。
アメリカのバーで、大体最初の難関はバーテンとのコミュニケーションです。
彼らは忙しく仕事をしているし、
なかなか注文を取りません。
しかし、手を上げたり、『エクスキューズミ―』などと言って呼ぶようなことはしません。(わたしは、たまに待てずにしてしまいます。)
もちろん、日本人はわたし一人。人種を考えないように過ごすようにしているのですが、ここではなかなか難しい。また少し頭に余技ってしまいます。
特に行きつけのバーでないととてもアウェイ感がします。
多分、きっとわたし以外の慣れていない人たちも同じように緊張していました。
わたしは、隣に注文を待っている人たちと会話をしてそれに気が付くことが出来ました。自分のまた、自分の存在を低く見積もる悪い癖が、行動することで解消されました。
そこにプラスして、なぜか恐怖心があるような気がしました。
バーに入る前には、大柄な男が二人。
自分よりも強そうだな、
その時に、自分の自信が少し減った気がしました。だから、バーの注文の際に、もやもや。
筋トレをはじめて、少しずつ自信がついてきてもやはりアメリカ人はさらにでかい。
そこで、ふと思ったのです。
わたしは何をおそれているのであろうか?と。
どんな人でも、
初めての場所や生き慣れていない人気のバーや、少し敷居が高そうなレストランなどは緊張するかと思います。
でも、なぜ緊張するのでしょうか?
自分がその場に合ってないと思うからだと思います。
でも、なぜ場違いだと思うのでしょうか?
それは、恥をかくことを恐れているからだと思います。
なぜ、恥をかくことがいやなのか?
ああ、プライドがまた邪魔しているな、と。
わたしは、いつもそんな時は、一呼吸し、明日死ぬかもしれないのに、
こんな大柄の二人の男に絡まれ喧嘩になろうが、
バーのバーテンが全然注文とりに来なかろうが、
場違いなレストランであるなんて思って緊張し、怯え、時間の無駄にする必要はない。
と、気分を変えます。
なぜわたしが恥に怯えているのかは、ナルシシズム(ナルシストが潜んでいると考えました。)
自分が、適当な扱いをされるのが怖いのです。
自分と言う存在を大きく持っているが為に、人に期待し、望んだ対応してくれないからと駄々をこねているのです。
どんな状況でも、これが出てしまうと委縮します。
でも、人が望んだ対応をしてはくれないものだし、わたし自身で認めてあげるしかないのです。
だから、怖がらずに迷惑をかけない程度にその場を楽しむのです。(酔っ払って絡むのは違います。一度、したことがあり、とても反省しています。)
自分も周りも心地の良い空間を作ろうとその瞬間を楽しむのです。
これは、どんなに緊張し怯えていても、使えるテクニックです。
何か、不安な気持ちがよぎったらまず深呼吸して、
自分が何で怯えているのかを考え、
それが実は、大したことではない事を知ることが出来ればいいだけです。
ああ、大したことでない。
恐怖をお化けやしきみたいな感じで、楽しもう。
それが出来ればわたしたちは、無敵になれる事でしょう。
禅人