人生これで本当によかったのか?これまでを振り返ってみて後悔している人に必要な心構え
生活をしていく中で、いままでしてきた自分の選択がこれであっているのかどうか心配する時って、結構あると思います。
誰しもが、正しい選択を出来ればしたいものです。
時間は有限ですし、お金も使えばなくなりまた稼がなくてはなりません。今までしてきたことが間違いであったのではないか?と、悩んだりすると結構、精神的に辛いですよね。
わたしは、働き盛りの20代後半で、日本のある上場企業を退職し、アメリカに渡ったことを後悔はしていません。しかし、ふとたまにこれで本当に良かったのだろうかと考える事があります。
日本に残っていれば、今頃はもしかしたら結婚し、家庭を持っていたかもしれない。
アメリカに来てからは、英語や文化など新たに学ぶことが多く、一からのスタートのようだったので、もし日本にいればその分にかけた多大な時間をもっとキャリアを積む事に専念が出来たかもしれない、とか考えたりしました。
それはそれでまた別の違った生活の形があっただろうし、
今現在いろいろ必死になって取り組んでいるすべてのことが、時たま上手く行かなくなってしまうと、日本にいる両親や兄弟、じいちゃん、ばあちゃん、家族や友達を思い、
彼らから離れて別の遠い国に住み、わざわざ苦労してこんなに必死にも生きる選択を自らなぜしているのだろう?と考えたり、それが本当にどれほどの価値があるものなのだろうかと悩んだりします。
自分が現在も続けている事がなかなか芽が出なかったり、今までしてきたことが正しいのかどうかが分からなくなるのです。
正直この問題は、
常に頻繁に起こるのですべてクリアに解決するのはとても難しく、正直気持ちを強く持つしか方法がないとも言えます。
しかしながら、悩むといつもわたしなりの心構えを思い出して考えを改め直すのです。それが多くの人に当てはまるかは分かりませんが、もし何か参考になればと今回はお伝えしたいと思います。
この記事は、
- 現在海外で仕事や留学をしている方。
- 自分の進むべき道が正しいのか悩んでいる方。
- 今までしてきたことが報われるのかが不安な方。
- 将来の先が見えない、不安でしょうがない方。
に、向けた記事になります。
初めに、何でこんなに将来や自分の今までしてきたことに対して不安や不信感を得るのか。
- その理由は、周りと比較してしまうからです。
例えば、自分のしてきた事業が衰退してきた場合。他に友達が事業をしていて上手く行っていたら、自分のしている事業が本当に今まで時間を使ってかけて作ってきた意味があるのかどうか考えてしまいます。
勉強でも、たくさん勉強し自分なりに今までよりもすごく成長していると思っているのに、成績がもっといい人や、自分よりも優れた大学にいったりしている人がすでに周りにいて、自分をしょぼく思ったりしてしまいます。
生活面でも、結婚などはやはり気にしないと言っても年齢を重ねると、周りがみな結婚し子供を持つのでそういった中で自分だけ状況が変わっていないと、取り残されていくような気持ちになったりします。
そう、わたしたちは他人や周りの人と比較して、自分の正しい道であるのか?と悩むのです。これは、自己否定に繋がり最終的には、あなたをダメにしてしまいます。
では、どうしたら自分の道を信じることが出来て、未来の成功への不安と恐怖に打ち勝ち成功へとつき進む事ができるのでしょうか?その解決策としては、2つあります。
一つ目は、
- 道は自らつくりながらしか歩むことができない
正しい選択であったか、今している仕事や勉強や恋愛やすべての事が間違っているのでないか?と感じている場合、自分には他の選択の道筋が、もともとあったかのように感じてしまいます。しかし、道は選択した後に自分でつくるもの。しかし他人がつくった道(成功の岐路)を自分の道のように脳が錯覚を起こし、
『ああ、あの人はこんな感じで事業を成功している、わたしもあのようにやればよかったのかもしれない。』
『ああ、あの人は早いうちに結婚し子供がいてうらやましい、今結婚出来ていないのはあの人のようにしていなかったから、あの人と同じように生きればよかったのかもしれない。』
と、あたかもその人たちが歩んできた道を自分も同じようにしていればそうなったのではないのだろうか?と思うようになってしまいますが、彼らの道も、もともとあったものではありません。
結局、信じて自力でつくっていくしかない。
道を間違えた、あの人のようにああしていれば良かった、と思ったところでわたしたちのこころは晴れる事はありません。前を向いて土台に新しく道をつくっては進み、少しずつその道の上を進むことに専念するしかありません。
意味がわからないという方もいるかもしれませんが、
多くの人は、道が出来ている思うのです。もともと初めからもうそこにあって自分でわざわざ造る必要のないものだと考えてしまうことがあります。
物理的にも生まれてから道路があるので当たり前のように感じるでしょうが、昔は何もなかったし平野でした。
だから自分の人生の岐路自体も、もとは何もないはずなのに『こうならなければこうしなければ成功者じゃない。』とか、『結婚は30歳までにしていないと負け組。』などのよくわからない基準で心配になります。
でも実際の道は自分で造るしかなくて、スタートは例えるなら、みんな初め道なんかない小さな無人島からスタートなんです。
わたしのこれまでやってきたことが、今に正しいのかどうか考えていても、もともと正解などないので、無駄なのです。どの方向に進んでも、どんなクネクネの道をつくったとしてもその状況を受け入れて楽しく過ごすしかない。
もう一つは、
- 花は咲くのには時間がかかる
いままでしてきたことがなかなか実にならないと不安になります。特に周りがどんどん成果や成功を成しているとそう思います。
『何故自分は上手く行かないのだろう?』『自分がしたことはただ時間と労力をかけただけ?』と、すべて無駄だったのではないだろうか、むしろ今すぐにそれをやめてしまい別のことを始めた方が早く実になり、生活や人生が楽になるのではないか。と考えてしまいます。
しかし、花は咲くのに時間がかかります。
しかも、道を作り続けその道を進み続けても咲かないかもしれないし、咲いた後もすぐに枯れてしまうかもしれないのです。それでも、愛をもってその自分の花を育てる事に覚悟を決めるしかない。
根性論になってしまうかもしれませんが、自分の今までしてきた事の多くを無駄と思うのも、そうじゃないと思うのもすべてはあなたの自由です。
お花が咲かなかったり、枯れてしまっても、どのような状態であっても愛情たっぷりで育てる事を楽しむことが必要になります。あなたの現在している行いのすべては、お金や名誉などを獲得するためにはもしかすると無駄になってしまうかもしれませんが、あなたへの人生の経験としてすべて残るのです。
植物は見てて面白いです。
同じような種でもいろんな生え方や成長の仕方も全部違います。形も大きさも全部違います。人間の人生も植物と同じようにとてもユニークになるように出来ています。
きっと芽が出てくるまでかなりの時間がかかるかもしれませんが土の中では、少しづつ伸びてきていて、頭を出そうと成長を続けています。
これはわたしたちが今までしてきた行いや進んできた道も、今はまだ結果が見えないのだけどもその見えない土の中の芽のように必ず少しづつ着実と前進しているのです。
自分を信じ、とにかく今の人生していることを否定せずに生きることが、水の役割を果たし成果を、花を咲かせることになるのではないでしょうか。
今、現状が苦しい方や将来が不安で夜も眠れない方がいましたら咲かない花はないと自分を信じて前に進んでみて頂けたら良いなと思います。
実はわたしのさぼてん君も一度死に、
いつしか気が付いたらまた芽を、顔を出してきました。死んでもまた生き返るんだなと植物をみて感動し、そのうえ自分の人生についてもなんか納得をしてしまいました。
比喩ばかりでよくわからないことを述べてしまったかもしれませんが、自分の決めた道を覚悟をもって進む。それだけ出来れば、さぼてん君のように死んでもまた這い上がることが出来ると思います。
読んで頂きありがとうございます。
禅人