傷ついただけ強くなる
先ほど、駐車場の天井が低く車に傷がついていました。
ちょっとショックではありますが、
こういう事も気にしていると一日が残念になります。
小さい傷って妙に気になるんです。
自分がいかにきれいな状態が好きかがこれで分かります。
気にしない性格になりたいのですが、なかなか変われません。
新しく買い替えたiPhoneとか落として画面が割れた時もショックを隠しきれませんでした。
こういった自分の大切にしているものなど、
傷ついてしまった時は、人間と同じように考える事にしました。
心の傷や、体の傷も、昔のようには簡単に消えないし戻りません。
一度ついてしまった経験からの傷も、なかなか消えることはありません。
ですから、
こういった車の傷も実は来るべき時に付けられることであり、
必要な傷である。と、思うことにしました。
////傷ついただけ強くなる////
傷つくと悲しい。
傷つくと残念な気持ちになるのは、わたしの脳が傷は汚く見えて悪いものだと勘違いしているからです。
傷ができた事には何か意味があって、
それはいい事でも悪い事でもなく、
新しく生まれたデザインであるのだ。
汚く思うのは、確かにへこんでて形もへんてこになり、
カッコ悪いかもしれません。
でも、
わたしが生きてきて出来た傷も、
すべてデザインであるとするのであればそれも愛おしい。
車の傷もiPhoneの破損も、
いままで経験して出来た体や心の傷もわたしが生きる為に必要な傷であり、
それがあるから生かされているのだ。
彼らもまたこの世界で生まれたもので同じ状態を維持は不可能であり、
新しい日々を毎日送っているのだから、
当然、傷も増えるのだ。
傷が多いほど、寛容になれる事も増えるのだ。
と思えば、どんなにつらい事が目の前に起こったとしても、
傷があることで乗り越えていける。
そう、
傷は悲しむもので嫌がるものではなく、
人生のいろいろな試練を乗り越える為に必要なものである。
禅人