認められたい、愛されたいと思う承認欲求が強いとなぜかきまって上手く行かない理由
昨日たまたまフェデックスに用があり訪れた時に、
その時にいらっしゃったとある店員さんとの会話で、人生で最も大事な教えを頂きました。
今日は、その話から学んだことをシェアしたいと思います。
この記事は、
- 人に認められたい、好かれたいといつも思ってしまう方。
- 人間関係で悩んでいる方。
- いつも他人にどう思われているか不安な方。
- 自分をなぜ認めることが出来ないのかを知りたい方。
に、向けた記事になります。
店員さんと話した内容は、
ヘアサロンの話からはじまり、最終的には人生論になりました。
彼とは初めて会ったしそんな深い話をするとも思わない、『とあるいつもの日常のワンシーン』であったのですが、
とてもいい時間で、人生に置いて大事な事を共感できる仲間を感じた瞬間でした。
彼は、なにか一つ芯が通っている人柄で、感じが良くまっすぐでとても気持ちのいい接客でした。髪型を綺麗にされていたので、どこで髪を整えたのかが気になりそれを聞いた後、
何かをきっかけに意気投合しました。
その何かが、『Real Recognize Real』
簡単に要約すると、本物の奴は本物を見分ける。
ということです。
わたしは、いままで自分を周りと比べてどう評価されるのか、どうしたら愛され認められるのかを気にしながら生きてきました。
多分、ほとんどの方がそのような承認欲求を持っているのではないでしょうか?
親、恋人、友達、職場での人間関係、様々な場所で出会う人たちからどのように評価され、見られているのか、常に気にして生きていました。
評価されるには他者と比べて、より優れていることだと思っていました。
例えば、
友達の付き合い。
付き合いで楽しくない時間を過ごしていても、周りに好かれたいのでそのまま帰らずにいい人を常に装ったり。認めてもらいたいから、調子いい発言をしたり。
仕事では。
常に仕事が出来る人だと思われたいので、長い時間仕事することであいつはよくやるって言われたかったり。
恋愛では。
わたしの価値を感じてもらうために、連絡を返さないなどでわざと忙しい男を演じ相手を試したり。愛してもらいたいから、高いレストランや旅行などに行き、お金を無理してたくさん使ったり。
このように、ずっと誰かにすごいと思われたい、わたしの価値を感じて欲しい為に自分を偽り続けて生きていました。
そしてその後何が起こったかと言うと、
本音の言えない中身のない関係、やりたくないもない仕事、余計な物、
そういった類のすべてを呼び寄せていきました。
そういった類の上でできた関係とのわたしは、とても弱く、群れないと生きていけませんでした。
そして、自分を良く見せようと必死なので、その中でお互いを比べたり非難したりするのです。
そういうの嫌いなくせにです。
自己価値が分からないから、人と比べることでしか、価値を生み出せなくなります。自分をすごいと思うにはその中で優秀とみられないといけないと感じるので、
他の人を見下したり非難したりすることを利用し、それをしないと自分が負けていて価値がなく、おれってすごい存在って思えないようになります。
それは、当然といえば当然です。
本当の自分だと周りに認められないという、恐れが生まれてしまうからです。
相手に嫌われたらどうしようといつも不安で弱く脆いので、群れることを選び、彼らにNoと言わないことで、自分の芯まで曲げて生きていました。
真の自分に反して生きてきたのですから、その反対の自分本心では必要でないものを呼びその中で生きることで、どんどん自分の価値とするものに気が付かなくなっていきました。
そう自己価値を感じれなくなり、
自己不信なるのです。
そうすると、
次に起こったことは、自信の無さからある一定の相手が求めてくる価値観の中でしか生きれなくなりました。
例えば、いつもつるむのは同じメンバーや日本人。これは、日本人だから安心、仲間という価値観を重視。
人の本質を見ようとしていない状態です。
そうなると、人の本質を見抜けなくなり他者との間にコミュニケーションの上で大きな壁を自ら作っていきます。こっちは安全、他の人は危険のように身勝手な固定概念を生みます。
特にアメリカでは、アジア人しかいないカフェやメキシカンしかいないバー、白人もしくは黒人しかいないレストラン、などお互いがお互いで違う人たちとして認識している現実がありますので、そのせいからか感じやすいかもしれません。
お互いがグループで分けられているという認識、
別のグループであるという価値観を感じます。
そのせいか決まって、相手の価値観を見極めるかのごとくアメリカでは当たり前のように『Where are you from?』と聞かれます。そして、固定概念によって判断されることが多い。
肝心であるわたし本人は見てくれていないと感じたこともあります。もちろん中には全くそういった事を聞かずに気にもせずに話をする人もいます。
その人たちはもう真実を見れているのでしょう。
わたしもそう、
愛されたい、認められたいと必死になってその群れの基準値に合わせもがき苦しみ、自らのオリジナリティーとユニークさを失い、更には相手の本質を見る事も出来なくなっていた。
そうやって落ちるところまで落ちたわたしは、
自分に集中することにしました。
そして一度、すべての群れから離れました。
他人との関りで精神を安定させるのではなく、筋トレや瞑想、本の読んだり自分が無理をしないで幸せに感じれることを始めました。
気付いたら、
人に認められなくても自分で認めてあげるだけで十分すぎるくらい幸せで、
自分だけでなにやっても楽しいと感じれるようになりました。
ぼっちキャンプなんて初めの頃は寂しいかななんて思っていましたが、今は全く思いません。
群れるよりも、
しっかりと自分と向き合い楽しみ方を知ったら気持ちが前向きに変わりました。
少し前まで気にしていた、
どこから来たのかや何が出来るかや何人であるかなんて本当にどうでもいい、
そんなことよりも、わたしはわたしである。
そう自分で思うようになってから、ようやくわたし自身の価値観の大切さを知り、認めることが出来ました。
まわりがどうでも関係ない。今の自分が何かに夢中で、それに燃えていたらいいのです。
これら、決して自己中ではありません。
そう、Real Recognize Real です。
どこにいても、誰と接していても自分は、真の自分でいること。
偽りのない言葉、偽りのない行動を心がける。
常に自分に正直にいること。
誰かに認めてもらったり仲間に入れてもらいたいが為に、快感や刺激をもらうために媚びを売るのではなく、
自らその活力や刺激を生み出す事。
人生が急に楽しくなります。
そうすることで、グループ分けの世界を変えることが出来る。
わたしたちは、個であっていいのだと気が付くことが出来る。
どの人間とつるんだっていいし、他の人が何を言おうが関係ない。
特に人種差別やアイデンティティを否定される状況化では、
個を強く持つこと。偽りなく自分を表現すること。
どのような状況化であっても、もしも相手のなかにもそういう相手がいるならきっと偽りのない自分を大切にしているわたしたちの存在に気が付いてくれる。
真実を知る人は、見極める。
わたしたちは、同じ地球に生まれ一つであると考えている人もたくさんいます。
経済力や知名度、肌の色などで人に対する価値を決めたり非難してしまう人たちは、相手にしなくていいのです。
もっと、別の事を大事にしている人は沢山います。
骨になったら、政治とか歴史とか色とか関係ない、みんな一緒なんですよ。
自分に偽りなく生活することで、
その相手も同じ考えを持った『自分の核』を大切にしている人たちと、
たとえわたしが彼らとは違うグループに属していてもお互いがお互いの存在に気が付き、尊敬し、お互いの存在に同意することが出来るのです。
その関係の上では、
わたしが何者である必要がありません。
わたし自身一つの地球にいる生命体であり、
生まれた時からそれだけでもう存在を認められ、許されています。
それに気が付けば満たされます。
大きな家、ナイスな車、芸能人と友達など、あたかも自分は成功者であると何か自分以外の何かに頼り自慢したりする人や、そういったものを持っていない、
または価値観の違う人の価値を非難する人たちは、心の成熟がされずに、いまだにリアルな自分の価値を知らないのでしょう。
外的な要素で、いかに見繕っても本当の自分の価値を誤魔化す偽りの姿になり、本当に自分の価値を知っている人たちから見るととても滑稽に見えてしまいます。
見透かされてしまいます。そして、気にもされません。だって、偽りの人と関わりたいとは思わないでしょう?
そう、
以前わたしはそういった外的要素で固めて行く事でしか自分の価値を見出せない、
それにより相手に認められ愛されることでしか、自分を満たすことが出来ない、そう思っていました。
しかし、自分には価値があると自分自身で認められてからは、
好きな事をやってどんどん自分の中からのエネルギーを楽しむようになり、変わることが出来ました。
本物の自分になるためには、
どんどん偽りなく、自分の好きな事してください。相手の顔を伺う事なく、合わせる事なく自分らしくいるだけです。自己中でもなんでもありません。
あなたはあなたそのままでいいのです。
常に等身大の自分でいることが人生で最も大切な事です。
それをすごいと思う人が必ずいます。
是非、自分の価値や存在意義で悩んでいる方がいたら、
あなた自身をあるがままに感じ、自分の中からあふれてくる感情を大切にして頂ければ幸いです。それを活力として生きていく事が出来れば、まちがいなく最高の人生を送ることが出来るでしょう。
それを見えている人は、あなたに気付いていてあなたを見ているのです。
本人は気が付いていないかもしれませんが、
もう愛されているし、認められているのですよ。
わたしもそのフェデックスでの彼との会話を経て今一度、
他人と比べることなく、
日々の幸せを自分の中から感じていけるよう心掛けていきたいと思いました。
読んで頂きありがとうございます。
禅人