継続とは、何かをやめることでもある
時間があれば、山を登るようにしています。
疲れるけど好きなんです。
修行と捉えています。
自分をもっと知りたいと思うようになってから、よく登るようになりました。
お陰で今日は、ふとももが痛くて、なにも出来ません。
痛みは、今どういった状況なのか教えてくれるのだな、と思いました。
痛みはとても慈悲深いと捉えるようにしています。
怒り、悲しみ、不安、などの感情も、
体からくる痛みや疲れもそうです。
昔は、まったく気にせず体や脳を酷使していました。
朝まで飲んだり、仕事したり、腰が痛いのに運動したり、様々な自分の『気づき』を無視した行動をしていました。
腰が痛いことにイラついたり、
最愛の人にフラれて辛く、悲しみを感じていることが、とても情けなく思ったり、
映画を見ているときに、途中でつまらないと思っているのにも関わらず流れで最後までみてしまったり、と。
大抵、痛みよどっかいけって思いますよね。
でも実際は、腰が痛くなるまで酷使したやり方が良くなかっただけで、
本当は痛みに、教えてくれて感謝するのが良い。
最愛の人がいなくなってとてもつらい。
でもその悲しい感情こそが、彼女との関係性、そして捨てる必要があったのかを教えてくれます。
映画の例えは、生き方に近いかもしれません。
仕事も恋愛も、途中でもう退屈、何か変だなって思いながらも続けてしまう。
趣味だったらすぐやめる事が出来るのに、
大切にしている物事や人間関係だとそう簡単にはいきませんよね。
////継続とは、何かをやめることでもある////
継続は力なり。
この言葉のように、続けないと上手くいかない、上手くならないこともあるでしょう。
やめることは、悪かのように聞こえてきます。
辛くても退屈でも、続けないと分からない事も世の中にはあります。
だから、自分の事を良く知らないといけません。
一度辞めてみないと、見えない事もあるのではないかと。
本当に自分にとって必要かどうかが、ただ続けているだけでは見えないときもある。
この辞め時が、すごく勇気もいるし、難しいんです。
人間の深層心理を考えると本当に終着地点がありません。
100人いれば、100通りの考えや、意見の違いがあります。
なので、
軸は一生付き合うあなた、がいいと思います。
自分の感情や体調を敏感に察知していくことで、
つまらない映画を最後まで見てしまった、あの謎に怠い状態にはならないはずです。
わたしの言いたいことは、
かったるいから、つまらないからと仕事を転々とする。
上手く行かない人間関係を避ける。
と言うことではなく、いったんやめてみて、
なぜつまらないのか、続かないのかを少し離れて考える。と言うことです。
いろいろ実はもう気づいているに、最後までそれを無視する必要がないと思います。
何事も、続けるてみる必要はありますが、
わざわざ最後まで、つまらないまま、エンディングを迎えなくてもいいと思います。
ちょっと止めて、別の映画を見始めてみてもいいんじゃないでしょうか。
いろいろなサインに気が付きながら、やめては進むことは、
人生において、『継続』と同じです。
新しい映画で、また新しい自分に出会えるともっと視野が広まり、
いままで途中でやめてしまっていたことが、楽しくなるかもしれません。
人間はいままでの経験や習慣から出来ています。
上手く行かずして辞めてしまったことも別れてしまった恋人も、
経験値は0にはなっていませんし、
すべては、自身を知る為だと思います。
なので、辞めて継続できなかった自分が悪いと思わずに、
自分に正直に生きるために継続しているんだ、
と思うようにしています。
感情と体を大事にして生きる事が、
自分に素直で、
自由でもあり、
執着をも捨てることのできる、
もっとも自分にあった『継続』の方法ではないかと思いました。
今日このふとももの痛みから、
続けるために必要なやめる事もある。と、
また改めて考えさせられる一日でした。
痛みが消えた時には、
きっとまた、
新たな山に挑戦したい気持ちでいっぱいになっているでしょう。
禅人