可能性
いつものスタバで上手いコーヒーで癒されます。
今日の朝、
ふと可能性について考えていました。
可能性とは、
物事が可能かどうかわからない状態ですが、見込みありです。
昔、小さい頃から今まで経験したたくさんの不可能であると思えることを成してきてここまでこれたのも、その可能性を信じてきたからです。
たまに信じれなくなる時もあります。
いまで言うと、『ダンス』。
社交ダンスですが、
男性のリードはとても難しく、しかもミスが致命的。
恥ずかしくも悔しくも上手く踊ることが出来ません。
これで、本当に踊れるようになるのかと、、。
失敗することを極端に恐れるようになったのは、
日本にいた頃から出来上がったモノだと感じます。
何か意見したり、間違ったことをすると周りに怒られたり馬鹿にされるからです。
幼少期に好きでサッカー選手になる夢も、
なかなかうまくいかずそれを理由にチームメイトからにもいじめにあい、諦めていったような気がします。
その時、自分のスキルや自分自身を信じていることが出来ていたら、
臆せずに戦っていたであろうことも、
結果、自分に負けてしまっていました。
これは、大人になった今でも思うことがあります。
ミスはいかんと。
しかし、
自転車を乗れるようになったのも転んだり、傷ついたりしながらようやく乗れるようになったことを思い出します。
不可能を可能にすることは、
不可能と思わずに、可能性を信じて進む事です。
これをごちゃごちゃにしてしまうのが、
ミスを馬鹿にする人、
ミスを許さない親、
揚げ足を取ってくる仲間、
そして一番の原因は、それを怖がる自分自身。
これが、いつもわたしの可能性を邪魔しています。
ダンスって女の子目の前にして、笑顔でリードしながらも楽しくさせるって本当に難しいです。
恐いし、下手で情けなくて、隠れたいと思ってしまう。
恋愛でも、
仕事のプレゼンでも、
大事な試合前も、
ここぞっていう時に、心臓がバクバクして手が震えたりしてきて、
結果、撃沈したりします。
じゃあどうすることで、この緊張や恐れがなくなるのか。
これは、
失敗の先にしか可能になることはないのである、
ので大いに失敗しよう!ということに限ります。
人は、恐れを感じるのは、その恐れの物体を見たり聞いたりした後、わずか1秒たたずうちに脳に伝達されます。
なので、
回避は、難しいでしょう。
軽減させる行動では、
深呼吸は、間違いなく心を落ち着かせてくれます。
緊張の前のビールもよかれと思い試しましたが、眠くなり上手く話せなくなりました。。。
失敗を恐れる事は、
可能性を下げる事は間違いないのですが、その失敗を恐れないようにするしかないのです。
その失敗を恐れないようにするには、
経験と忍耐、そして失敗は悪いという概念をなくすこと。
とにかく日本では、何かと失敗するといくつかの環境でいちいち指摘されたり、失敗は悪とされていた経験がある。
ので、この根強く心にささっている棘を抜くまでは至難の業であると考えます。
しかし、これも自分の可能性を信じ、
治るはずであると考える必要があるとわたしは思います。
ダンスの初めのうちは、失敗を恐れて、それに慣れながらも忍耐で続けることが可能性を高め、困難な物事にも対応できる能力を身に着けることが出来ると思います。
まずは、失敗を根本的に改めて、脳にインプットさせます。
下手でもいい。
失敗してもいい。
怒られても、嫌われても、いい。
馬鹿にされても、いつかできるようになるからいい。
コツは、馬鹿にしてくる人たちから距離を置くのは非常に効果的です。
実際わたしは、そうして揚げ足を取る人や、頭ごなしにやることを否定してくる人間とは一切関係を断ちました。
それは、いい事だけを言ってくる人間関係の構築ではなく、『自分はできない』と思わせない為に、非常に重要であると思います。
物事には、決して不可能な事はありません。
どんなことでも、可能性を信じて研究することで可能です。
月の到達もそうでした。
無理じゃありません。
不可能なんてものはない。
難しいかもしれませんが、不可能ではない。
だから、
周りに何を言われようが、わたしには必ず出来ると、
可能である、と脳に言い聞かせて、自分を味方にすること。
物事を可能にすることは、本来、一番の味方であるわたしとの対話がなによりも必要である。
禅人