いじめの原因とそれから自由になる対応策
世の中で一番恐ろしい事は、なんだろうと考えていました。
昔、いじめを経験したことがありとても辛かった記憶があります。
その一番恐ろしいと思ったことは、『いじめ』でした。
間違いなくそれは、小さい子供から大人社会にまで至ってもあり、原因は幼児教育が影響しています。
わたしも幼い頃、一番仲の良かった友達に仲間外れにされた経験があります。
よく昔は、嫌な夢を見ることがありました。
小さい頃(小学校4年生くらい)に実家が大火事に合い全焼しました。
それから新しい家を別の町に両親が建て、のちに引っ越した後、
毎日のように一緒に遊んで仲間たちから離れた為に、彼らから仲間外れに合いました。
今思えば、わたしも彼らに対して『自分はもうこの村の人間ではないし』と言って、わたしから裏切ってしまっていたのかもしれません。
このようなカッコ悪く自分にはあってはいけない過去を両親や友達には知られたくありませんでした。
いじめにあっているなどと口が裂けても言えず、
幼少期のトラウマか、社会に対して我慢はそこからするようになったと思います。
信用していた友達に裏切られ、
仲間外れにされた経験は人をなかなか信用できなくなり、
大人になってもなお深く人間関係を築くことが難しくなりました。
もともと協調性にかけるわたしの性格は、中学一年生の時に際立ち、入学してすぐに仲間外れにされていたと記憶しています。サッカークラブでの行いが原因になりました。
中学二年生になると、
思春期もあったせいか、女子陣とつるむようになり仲間外れが次第になくなっていきました。それからは、『ターゲット』が変わる様子を目のあたりにしていて、理由が分かると極力自分を出さずに協調性を持って人に接するようになりました。
わたしが、幼い頃覚えた知恵でした。
人と違う事や珍しい事をすると叩かれる、と。
その頃までは成績優秀でいつもテストは100万点でした。しかし、女の子と遊ぶのが楽しいから成績が落としたんだと思っていましたが、
深層心理では、目立つとやられるだからバカで行こうだったかもしれません。
小学校時代のいじめはひどいもので、
正直、当時はかなりひどいいじめがあったことを記憶している。
わたしもほとんど覚えていないが、
ある時はクラスの全員が彼らの敵であって、いじめられている側はベランダから飛び降りようとまでしていた。
先生も何をやっていたのか、
当時のわたしも標的にされるのを恐れていたのだろう。
『バーカ、死ねよ。』
とかの言葉が当たり前に飛び交っていた学校教育の場は、本当に恐ろしい。
日本のいじめも、
アメリカのいじめも、
本人の意思でどうにか断ち切らないといけない。
それは本当にきつく、度胸のいる自分にとって最良の行為を自ら選んでいかなければならない。
話を戻すと、
中学一年の時に、わたしは仲間外れをしていたグループを無視するようになった。
暴力を振られていたわけではなかったので、とにかく無視して、
気にしない、は効果的だった。
これが、いじめから解放される一手だったと言える。
相手にしてるといじめる側は喜ぶ。
これを終わらせるには、無視するしかない。
それから彼らはわたしから離れていき別の人をターゲットにし始めたことを記憶している。そして1年後かいつしか、彼らはなにもなかったかのように普通に話しかけてくるようになっていった。
中学3年になる頃には、気の合う友達にも恵まれた。
その後、高校生活では体育祭で副団長もした経験があり、
今思えば、小さい頃の仲間外れからはかなり出世した方だろう。
こいつはいじめになんか合わないだろうってやつも、やられたりするし、決まりはないのだと思う。
もしターゲットにされたら、出来る限り、出来る事なら無視をして、その当事者から距離を置くことをおすすめしたい。
そういったトラウマが出来てしまうと大人になってからもいろいろ人間関係構築に支障をきたす。だから幼児教育は、本当に大事である。
幼稚園、保育園、小学校でのいじめの経験は、
ずっと大人になっても残るだろうし、
なかには命を投げ捨てる子供たちや、いじめで殺されたりする子供もいる。
日本の社会は、大人になってもいじめの問題、そういった話を良く聞く。
ママさん集まりや、
職場の上司や同僚など協調性を重んじられる場所や環境にいじめは発生する。
それらは、間違いなく幼児や子供の頃のまがった教育や経験から来ていると断言したい。
無理やりに同調を強要するねじ曲がった日本教育が根本にあると考える。
わたし自身は、良い仲間に恵まれたおかげでいままでこうやって楽しく生きてきているが、
最近自分の事を研究するにあたり、昔の出来事(トラウマ)が今になってもなにかひっかかっている気がしていました。なかなか人を信用しないのもそのせいなんだと。
少し前までは、嫌われるのを極端に恐れて協調性、同調することをしてきました。
それがとても苦痛になり自分が本当に言いたいことや、今したいことの妨げになることに気が付き、NOと言うようになってからは人間関係がシンプルになった。
それはわたしが望んでしようとしたことなのに、
どんどん一人の時間が増えていき、
以前のたくさん友達とワイワイしていた時と比べたギャップに苦しんでいるようにも感じたので、このいじめに関することをブログで吐き出してみようと思ったのです。
わたしは、シンプルに必要な人間関係だけを構築するために、
自分の意思を尊重し、今行きたくなければNOといい、自分が嫌だなと感じたらそれを伝えて離れるようにしました。
そのお陰で今ではストレスはほとんどなくなり、
自分の今しなければいけないことも明確に見えてきました。
しかし、社会と言う存在があまりにも大きくて、
更には人間関係で世の中が成り立っているのに、今している自分の行いは本当に正しいのかを日々考えてしまいます。
いわゆる、ブレブレってやつです。
自分の軸で生きるって簡単ではないのだなとつくづく思わされます。
でも諦めずに自分の軸で生きることが出来たら、社会に怯えることもいじめなんかも少なくなるのではないかと思います。
それは、いじめる側もいじめられる側の両方です。
相手に執着することなく自分自身に集中することが、絶対一番健康であると思うからです。
本来であれば、
狩りをしなければ飢え死にするはずなのに、今はその心配がないし余計に他人の事に目がいきがちです。
そして集団で生活することが逆に、心の病を作ることが増えています。
集団生活が安全でなく、危険にもなりえます。
集団生活から身を守るのは自分次第です。
まずは、いじめ対策で自分軸を持つ必要である。
その方法は:
- 常に自分の気持ちを先においてから返事、受け答えをすること。
- 相手に自分の手綱を渡さないこと。
- 選択、決定は常に自分で行うこと。
を心がけましょう。
わたしはアメリカに来て大人になってからこういった自分の軸で生きる事を始めましたが、
正直これは子供の頃にするべきことであった。
同調することを覚えるのでなく、
自分の意見を言ったり、
嫌な事はしっかりとNOと言ったり、
仲間外れには無視やその場から去る。
いじめがあるならなくなるまで、両親に協力を仰ぎ、最悪学校に行かなくてもいいと思います。別に学校でなくても教育や友達関係はもてるからです。
社会基準はくそくらえでいいと思います。
子供たちにこそ、
学校に真面目に通うことが何よりも大事、友達100人作ろうや、社会基準に従うのが大切なんだなんて教育をせずに、
まずは命を大事に、自分を大切にを一番に教育していくべきです。
そして相手に嫌われようが、自分の意見をしっかり言えることを覚えさせることが必要であると考えます。
ひとりでも多くの人が、まわりの同調圧力に屈することなく、自分らしさを見失わずに生きていく事を覚えることで『いじめ』から解放される。
『いじめ』は、辛くても相手の興味がなくなるまで無視しましょう。
それよりも、自分らしく。
前を向いて歩くのです。
そうすると周りが何を言おうが関係ない。
わたしたちは、自分らしく生きる為にこの地球にいるのです。
禅人