待つことでこころを育てる

ふと、待つことについて考えました。

わたしは、なんでも待つことが苦手でした。

例えば、

電車を待つ。

彼女を待つ。

友達の連絡を待つ。

大事な事(試験やもっと時間をかければ上手く行ったかもしれない事柄)のタイミングを待つ。

など、

様々な待つがわたしたちの人生の中にあり、

待つかどうかは、自由に選択が出来ます。

それだけに待つことがとても難しい気がします。

気分を害さずに待てることが出来たら、人生は変わります。

カップルであれば、喧嘩の回数も減るでしょう。

 

////待つことでこころを育てる////

待つ。

待つは、もてなすという意味もあります。

日本語の待つという漢字の意味は、何かを手に持ち、道の途中で足を止める様子を表しており、今後やってくるであろうことに備える為の言葉でもあります。

きっと、待つことの意味を理解するだけで、

今までの苦しみがなくなるような、そんな気がしました。

 

待つのって苦しい事が多かったからです。

愛を与えても返ってこず、待てずに焦ってまた相手の求めてはいないような事をしてしまったり。

まだまだ若いのに仕事などの報酬の為、焦ってしまって、もう少し時間をかけて待つことでうまくいったかもしれない事はたくさんありました。

しかし、待つということは、ただ時間を過ぎるのを待つではなくて、

行動しながら待つということです。

そのいつか来る大事なイベントに備えるように、行動しながら時を待つのです。

これが、待つの本当の意味でした。

待つとは、イライラするただの時間の浪費だと思っていたわたしにとってこれは、革命的な気が付きでした。

少し前に、当時の彼女と大喧嘩した記憶がよみがえりました。

その時も、彼女を待つことが出来ず、キレて帰ってしまったのです。

なぜ待てなかったかというと、自分の存在が大きくていわゆる自己中なんですが、喧嘩中にさらに1時間待たされていたので、完全にキレてしまいました。

当時は、待つことがおもてなしの心であることも考えもしなかったし、

ただ単に自分の存在価値が低いから待たされているのではなく、

相手を待つことは、それだけで素晴らしい事なのではないかと思いました。

待つことが無償の愛をや慈悲の心を育てるような、そんな感じがしました。

どんなことでも、

少し様子を見て待ってみることで、いろいろな視点で物事を考えられるようになったし、

待つことが嫌ではなくなりました。

それは、思いやりの心だからだと思います。

次にくるであろう楽しみに備えて待ちましょう。

それには、行動しながら待つのです。

コーヒーを楽しみながらまったり、

景色を見たり、

一年二年待たなければいけない行事であれば、

それまでに鍛えたり、練習したり、自分を磨きながら待ちましょう。

待つことが出来るだけで、

きっといろいろな事に寛容になれるし、愛を与えることができる。

きっとそれは、

間違いなくわたしの人生を豊かにする事でしょう。

 

禅人

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