移民の心境と海外で差別を感じたの時の対処法
今日は、ビーチにビールを飲みに来ています。
Hermosa Beachは、私がアメリカに来たばかりの頃、よく訪れていた町です。
何か小さなことで機嫌が悪くなると、必ずビールを飲むことにしている。
こういう気分の時はたいてい自信をなくしている時です。
だから、初心を忘れないように、自分を取り戻すためにここに来たんです。
しかし、多くの人が楽しそうに話しているのを見ると、集中できない。
寂しいんです。
アメリカに来てから、あまり寂しいと思ったことはないのですが、
最近、とても感じるようになりました。
まず、ここには家族がいない。
友達も少ないし、いても離れていってしまう。
コミュニケーションがうまく取れないわけではないのですが、もしかしたら自分はここに馴染めないのではないかと感じることがあります。
これはおそらく、多くの移民が同じように感じていることだと思います。
現地の人もそういう社会的人間関係の問題はあると思いますが、移民はそれ以上だと思います。
初めて行く店って緊張するし、最初は勇気がいるじゃないですか。
差別されるんじゃないか、とか。
移民が感じるアウェイ感を現地の人は感じられないと思うんです。
今、「THE CHOICE」という本を読んでいます。
第二次世界大戦中のホロコーストを生き抜いた著者の伝記で、どんな状況でも自分の気持ち次第で、変えることが出来るという心理的な要素も書かれています。
まだ半分くらいしか読んでいませんが、戦後、アメリカに移民して生活してきた経験を語っていて、とても共感しました。
そして、アメリカでの生活だけではありません。
アメリカだけでなく、他の国で勉強したり、働いたり、生活している人たちは、みんな同じです。
たぶん、彼らは、その国になじもうとし、うまくやっていこうとする。
それがとてもストレスになるからです。
常に現地の人と同じレベルの言葉を話すことを期待されます。(言葉が通じないのに友達を作るのは性格が出ます)。人見知りの人は、おそらく生きていけないでしょう。
では、どうすればいいのだろうか。
海外に行って現地の人と仲良くすることは不可能なのだろうか?
私はアメリカに来て10年になる。
いまだに答えはわからない。
でも、ひとつだけわかっているのは、私たちはみんな同じだということです。
私たちは皆、同じなのです。
第二次世界大戦中、ホロコーストがありました。
ユダヤ人というだけで大虐殺があり、今も差別がある。
アジア人、黒人、白人などの人種間でいがみ合い、どの人種が優れていて、どこかの人種がゴミのように扱われてもいいような世界を作ってきた歴史があるのです。
私たちは皆、人間です。
肌の色や見た目は違っても、同じ感情を持った人間なのです。
でも、
それは他人が決めることではありません。
自分なのです。
最近、ロシアはウクライナを攻撃したり、他の国に暴力を振るったりしています。
同じ地球に生まれ、同じ人間であることを忘れているのです。
自分たちの土地があるのに、なぜもっと多くの土地が必要なのでしょうか?
土地や権威のために他人を侵害することは許されないのです。
私は人種を言い訳にして生きてはいません。
自分の心ですべてを変えることができるのです。
もし誰かが嫌味を言ったり、差別的なことを言ったり、あなたや私のような人間にはふさわしくないことを言ったりしたら。
ほっとけばいい。
無視しなさい。
戦時中の状況は、どうしようもなく悲しく、腹立たしいことだろう。
それでも、自分でそれを変えることができる。
自分が死ぬまでゴミのように思わずにいれたら、とてもカッコイイと思う。
それが生きるということなんだろう。
自分らしく。
馴染めなくてもいいんです。
こうやってビールでもコーヒーでもなんでも飲んで幸せになることが大事なんだ。
幸せであること、自分らしくいることが大事なんだ。
自分がどう感じるかは自分で決められる。
嫌いな場所にはもう行かないし、気持ちのいい場所にはそのまんま行く。
無理に自分の気持ちをいろいろと変えたり減らしたり、曲げたりする必要はないのです。
必ず自分に合った場所があるはずです。
なぜなら、あなたはすでに大切な存在だからです。
それは、あなた自身でそう思うことが大切なのです。
禅人